1 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:17:14.35 ID:lr/O0xKk0
閉めた水門が一瞬で吹っ飛ばされました・・・
2 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:18:55.16 ID:6gELabib0
死体見た?
>>2
見た
4 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:20:05.51 ID:GV6Chsws0
>>1
ご苦労様です
福島で男をあげてねむりたまえ
>>4
岩手
6 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:21:59.28 ID:QpMDf3P70
精神的な意味で大丈夫?
体力的な意味で大丈夫?
>>6
時間が解決してくれました
7 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:22:31.21 ID:6gELabib0
怪我とかした?
>>7
釘踏んだり、ガラスで切ったりは日常茶飯事でした。
まだ東北は寒かったので風邪をこじらせる人も多かったです
8 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:23:05.62 ID:CbyXsBmh0
現場の空気ってどんなの?
>>8
震災直後は張り詰めた緊張感と恐怖、時間が経過して諦めムード
9 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:24:45.39 ID:CbyXsBmh0
何日仕事したの?
>>9
人名捜索で2週間。瓦礫撤去で3ヶ月くらいかね
11 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:33:44.85 ID:jzmWSgAeO
岩手のどこ?
>>11
宮古市それ以上は勘弁
12 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:35:09.20 ID:v8TQYdTUO
なんか被曝値?みたいなのを計測するイスがあるみたいだけど計測行った?
>>12
やってない。放射能関連の検査は一切やってません
14 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:51:01.04 ID:ckyFufgY0
消防団から見て消防士って楽?
>>14
田舎だから消防士の活躍は少ない印象。
でも一般市民は知らないだけで色々あるんだろうけど。
消防団は基本的に自分の仕事を持っているから、そこらの兼ね合いが大変です。
16 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:57:29.86 ID:YhRMEGix0
計測してきてどんだけ被曝しましたしませんでしたって情報ながしてほしかった
当事者じゃないぶん興味の範囲をでないので申し訳ないが
>>16
岩手県では消防団に対して被爆云々は全く検査していないと思われる。
小さい子にはやっているみたいだけど。食品は色々と検査してるみたいだけど、
人体は全然な印象。
17 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 08:59:10.55 ID:QNmITA8B0
今朝は何食べた?
>>17
きな粉餅。我が家で作ったもち米です。
19 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:09:13.75 ID:OLkvTFosO
沿岸地域は全滅、内陸はたいしたことない
って認識なんだけど実態はどんな感じですか?
あとは被災地から若者がどんどん流出してるってのは本当?
>>19
そんな感じですね。
同じ岩手でも内陸と沿岸では温度差がある。時間が経てば経つほど大きくなってきてるね。
全国各地からの支援は今も続いていて本当に感謝なんだけど、
案外内陸の人は普段の生活になっているようです。
若者は以前から流出があるけど、地元にいても
仕事がないから益々出て行ってる。
TVとかで「被災地に残って復興に・・・」って言う人は実際少数。
21 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:10:51.83 ID:OLkvTFosO
今月の受験終わったら東北にボランティアしにいってみたいとか思ってるけど今更迷惑かな?
>>21
ありがとう。瓦礫撤去とかより、1人世帯のお世話
(近くに店がないので買い物の手伝い)とか、今なら雪かきの人を急募です。
でも日本海側に比べれば大したことはないですが。
22 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:18:36.45 ID:Lrsa2+QF0
復興はすすんでる?
>>22
どれを持って進んだか判断は難しいけど、今は瓦礫の山が無くなって更地になりました。
震災でマイナスになったのがゼロに戻った感じです。
居住地や公共施設の移設の問題等、まだまだ先は長いです。
25 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:33:33.91 ID:Lrsa2+QF0
震災バブルって本当なの?義援金でパチンコばっかりやってる人が
4割いるとかいないとか、そんなのは生活を立て直してからにして欲しい
>>25
失業保険+義捐金で、働かないで遊んだり新車を買ったりしている人がいるのは事実。
かなり贅沢で怠惰な暮らしをしています。
自分は家族も家も無事だったんですが、
家を失っても「ずっと仮設でいい。何かあれば国が助けてくれるだろう」と
全く生活再建を考えようとしてい人がいるも事実。
何かあれば「自分は被災者だぞ」と威張る始末。
少数ではありますが、こんな人がいるのが本当に情けないし
支援してくれる人に対して申し訳ない。
26 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:42:12.42 ID:gpDUnayQO
>>1
みんなの為に頑張ってくれてありがとうね。
自分自身が被災者なのに頑張ってくれてありがとうね。
岩手県は行ってないけど宮城の県北部まではボラで行ってたよ。
>>26
こちらこそ、ありがとうございます。人的・物的支援本当に助かっています。
29 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:50:58.76 ID:gpDUnayQO
困った時はお互い様だよ。
自分も微力だけど頑張って応援してるよ。
ただ無理はしないでね。
>>29
本当にありがとうございます。
今後とも精進いたします。
32 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 09:56:32.83 ID:Lrsa2+QF0
少数なのか?結構な割合と何かで見たんだが、そんな人達は
復興しても取り残されるんだろうなそしてナマポと最悪だな、
本当にちゃんとした人達には幸せに暮らしてもらいたい
>>32
老人のみの世帯とか多いからな、
その人たちが新しく家を建てて・・ってには考えないだろうね。
問題なのは働けるのに働こうともしない50前後の人たち、「今から仕事探しても」って言って、
昼間からパチンコに並んだり酒を飲んだり。本当に情けない。
55 :福島の馬鹿は調子乗り過ぎ:2012/02/04(土) 14:53:38.02 ID:RMo+ps+z0
金のために原発誘致した癖に被害者ヅラして、
節電には全く協力しない。
まさに原発乞食という言葉が相応しい。
ボランティアで福島に行ったら「お前らのせいだ」とか、
暴言吐かれた恨みは一生忘れない。
今後、何があっても福島の支援は一切しない。
57 :1:2012/02/04(土) 15:04:47.20 ID:lr/O0xKk0
>>節電には全く協力しない。
被災者だからって節電せず、支援物資が沢山届いているので、
むしろ浪費している現状は申し訳なく思います。
34 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 10:11:55.88 ID:Lrsa2+QF0
原住民でない俺でも腹立つんだから>>1の悔しさは相当だろうね、
ごめんな変な事聞いて後は頑張りすぎないよう頑張ってな
>>34
この醜態をマスコミに取り上げてもらって、問題化してもらいたいものだよ。
35 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 10:13:42.86 ID:OM1wDoeu0
久慈に親戚いるけど北の方だから被害軽度だって聞いたのに
夏に実際見たら結構悲惨だったから宮古とかヤバかったんだろうな
>>35
確かに南に行けば行くほど被害は大きいね
(と言っても、北は種市、南は気仙沼までしか行ってないけど)
客観的に見ての被害の大小はあるだろうけど、
辛いものがあるよね町が一つ瓦礫に埋もれるってのは。
絶望そのものでした。
我が家は少々小高い場所にあるんだけど、
あと200mくらいで床下喰らってました。
震災当日は水門閉めて、津波を見て山に駆け上がったんだが、
「家は終わったな」と思ったよ。
37 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 10:34:09.09 ID:9ke6p63a0
おれも20年前に消防団に入っていたよ。
でも、俺が入っていた東京の区内(下町ではない)の消防団は農家の倅やら、
地主なんかが多くて、集まりがあっても酒臭く、何時にゴルフ行こうとか、飲みに
行こうだの、会話ばっかり。
農家以外の消防団員を見下したり、ポンプ総連なんかも今年はうちの分団が
優勝する年じゃないし(優勝は持ち回り制になっていた)とか言って、防災意識も
最低だった。
また分団長が農家で無かったので次期分団長候補の地主のいやらしい人事工作
も見ていて腹がたった。そんなこんなが嫌で2年目でやめちゃったけどね。
だから消防団って俺から言わせると、あまり好きではない人たちなんだよね。
>>1はそうじゃないと思うけど。関係無い話だった・・・。スマン。
>>37
沿岸部の漁師町なので住民の多くは
漁業関係者(8割くらい、残りは個人商店と役所系統)。
以前より「地震=津波=商売道具を失う」の教えを守って、防災意識は高いほうだったと思う。
夜中が出勤時間なので、他所で聞くような夜な夜な詰所で
酒盛りはやったことがないし、消防団の評判を落としているピンクな旅行もない。
うちの分団は20代で入団後、約15年年勤務して50歳前に退団が基本路線。
年に数回ほど居酒屋で「ご苦労会」をする程度、
報酬は基本的に必要経費(ポンプ車の燃料や消耗品等)を
差っ引いて出動した個人に配分。
活動に参加すれば小遣いをもらえるし、出なければ何もない。
報酬を分団で押さえる文化も無い。
老害もなくて、近所の同年代の集まりみたいな感覚だから割と居心地がいいよ。
40 :1:2012/02/04(土) 10:57:08.91 ID:lr/O0xKk0
ちなみに私も漁師の端くれです…
41 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 11:08:43.86 ID:gpDUnayQO
いつも美味しい魚をありがとう。
>>41
ワカメと鮭とホタテを食べるときは、消防団員のことを思い出して下さい。
42 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 11:10:07.96 ID:9ke6p63a0
>>1返信有難う。そういう消防団だったら、働き甲斐があるね。俺がいた団だけの話だったら
と思うことにするよ。
でも、こんな団が地元で、東京に大震災があったらと思うと、なんか嫌だな。
震災後での一番衝撃だったことってどんなことがありましたか?
>>42
1つに絞れないけど
1:津波の色が真っ黒だったこと。
2.:短期間で様々な生物の最期の姿をみたこと。
3:ボランティアに紛れて盗賊がいたこと。加えて、詰所(詰所も無事)に停めていた
僕のVOXYが車上荒らしに遭ったこと(カーナビとスノボセット一式がやられた)。
45 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 11:28:13.51 ID:9ke6p63a0
2、3の話をもうちょっとkwsk教えて
>>45
人間だけでなく動物も植物もかなり命を落としました。
田舎なので、カモシカ、イノシシ、リス、ウサギ等など
泥と油にまみれてました。当然、放置していたので腐敗が進んでいきました。
震災後1月ほどしたあたりから、津波を受けた木々の葉が変色(赤く)なってきました。
火事もあったので、焼死体は夢にもでました。
ボランティア含め沢山の人が出入りしました。
廃品回収業者の看板をつけた車(関西ナンバー)が
夜に廃品回収していました。あきらかに一般人ではない雰囲気でした。
金庫が開けられていたり、誰も入っていない家に足跡があったりは普通で。
まだ電気の通じていない家の2階に住んでいた人は、夜中に屋根から人が入って来て、
角材掴んで問い詰めたたら「ボランティアですけど、夜の見回りでした」って逃げたり。
ボランティアの方が乗ってきたバス内で金品が盗られる事件もあったそうです。
一時は治安最悪でした。
43 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 11:17:23.69 ID:gpDUnayQO
>>1
震災当日の行動を教えてもらえますか?
>>43
文章を整理するために箇条書きで書きます。
亀で申し訳ありませんが、とりあえず一日の行動を。
1 午前4時起床。前の日に準備していたオニギリを食う。
2 午前5時出漁。当時は刺し網(カーテンのような仕掛け)をしてカレイ等を獲っていた。
3 午前9時に水揚げ。震災との関係は不明だがここ1週間ほど不漁。
4 午前11時、一度自宅に戻りシャワー。
カップラーメン(確か一平ちゃn)と白米で昼食。昼寝。
5 午後1時再び海へ。仕掛けを投入。
6 午後2時30分頃、港へ到着。
第一弾~地震発生まで~
47 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 11:51:09.03 ID:V86oO15c0
津波の時、必死で大波にさらわれないようにゆらゆらしてた船を
テレビで見た気がするんだが、洋上で津波に飲まれた人とかも多いの?
>>47
ある程度の沖合にでれば洋上では
飲み込まれることはないんですよ。
陸地に近ければ近いほど陸に打ち付けられて危険なんです。
深さ150mくらいの沖にでれば津波が通っても船が普段より上下するだけ。
実際、うちの叔父が震災の時に船を沖に出して助けたんだが、
津波が通ったのは分からなかったらしい。
津波が陸地にぶつかった時に尋常じゃない白波が立って、
初めてとんでもない津波だと知ったって。
51 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 13:20:50.06 ID:9ke6p63a0
ありがとうございます。
悪夢を思い起こさせてしまいすみませんでした・・。
やはり、火事場泥は結構いたんですね。
こちらでもそのうち大地震が必ず起きるとは思いますので、良い勉強になりました。
失礼を重ねますが、こちらでも地震が起きた時に役立つような教訓や経験談なども
宜しければ教えて下さい。
>>51
人は案外、食欲は我慢できるものでした。
2日位は、ほとんど食べなくても動けました。
しかし、寒さには耐えられませんでした。
寒くて寒くて休めず、暖をとるのに苦労しました。3月の東北はまだ寒く、当日は雪でした。
ファンヒーターばかりでしたので、停電になれば戦力外です。
月並みですが「停電対策」が一番重要かと思います。
あとは、外出中の場合は無理に家に帰ろうとしないことです。
今回は特に車社会の田舎で発生したので
「地震発生→車で家に→渋滞→車ごと津波に」のパターンがで多くの人が犠牲になりました。
自分のいる場所が安全ならば、しばらく動かないことも大事かなと思います。
53 :1:2012/02/04(土) 14:04:21.74 ID:lr/O0xKk0
続き
7 船を繋ぎ直している時に地震発生。揺れている最中に
携帯の緊急地震速報が鳴る。揺れの強さより長さが凄くて気味が悪かった。
揺れの途中で停電。
http://youtu.be/KcUWWGuZ6m0
8 潜水作業をしている人が「地震が発生するとキーンって
水の中で音がするんだけども、今までに聞いたことが無い高音で痛いくらいだった。
ただ事じゃないぞ。」と言われ浜辺にいる人を逃がす。
9 続々と消防団が集結。大津波警報発令。
うちの班は3枚の水門を19人で管理なんだけど、集まったのは13人。
4・4・5に分かれて避難誘導、水門閉鎖に取り掛かる。
10 強めの余震が続く。
自分が担当した水門は3枚のうちで唯一の電動。平成21年完成の立派なアルミの水門。
しかし予備電源が不調で閉鎖出来ず。
電源他の2枚は手動で14時58分、15時3分に閉鎖完了。
11 発電機を持ってきてようやく15時17分閉鎖。
12 消防署より無線で「消防団員は高台に避難するように」と連絡を受ける。
水門の上(水門が確か8m)にいて、まだ漁港内にいた人がいたため避難を促す。
13 海水が引き、津波の第一波到達。岸壁を洗う。
岸壁のギリギリに停めてあった誰かの乗用車のタイヤの半分くらいまで水がかかる。
(これくらいなら台風や時化である)
14 一波より大きく水が引き、ゆっくりと第二波到達。
一波より大きい。(これくらいの津波は数年に1度くらいあるらしい。自分は初めて。)
小型の船が数隻流される。
団員の中では「凄い津波きたなぁ」「俺の助かった~」「○○の船がやられた」とか
まだ心の余裕はある。
15 とんでもなく水が引く。
陸から20mくらいは海底を歩けるくらいで、
海の底は紫っぽい色をしていた(海藻の影響かな?)のが印象的。
流されていった船がたちまち遠くの沖合に流されていって、
その先に巨大な真っ黒な壁が見えて迫ってくる。
16 とっさに身の危険を感じ山に駆け上る。
バリバリだかゴォーだか文字に表せない轟音とともに津波がくる。
あっと言う間に全てを飲み込む。
尋常じゃない量の土ぼこりが舞う。
17 返し波で家や車(不思議と人は見なかった)や木が海に流れる。
被害を見て呆然となる「終わったな・・・」と。
第二弾~津波到達まで~
54 :1:2012/02/04(土) 14:44:52.03 ID:lr/O0xKk0
続き
18 団員の無事を確認し、また津波が来るのが心配なので山を登って詰所を目指す。
19 1時間近く歩いて詰所に到着。違う水門を閉めた団員がいない。
5時くらいで外は薄暗かった。
20 避難所に行き避難者の確認をする。
「○○がいない」「○○が流された」との噂が飛び交うも確認もできず。
(停電と共に携帯は不通)
21 他の団員と合流。全員無事だった。消防署より無線で
「避難所への物資の配達と詰所待機」を命じられる。
22 携帯は不通だったがワンセグでテレビが見れ、
ニュースで千葉のコンビナート火災と東京タワーの先端が曲がったと報道していた。
23 まだまだ余震が続く。火災発生の連絡、詰所待機と火災対応の2班に分け活動。
自分は詰所待機。建物火災から山に移ったらしい。
24 日付が変わる。
詰所では無線から火災対応の指示と次々起こる余震の情報が聞こえる。
団員の会話は皆無。
25 明るくなり火災対応組と待機組が交代。初めて惨状を見る。
自分が閉めた水門と思われる物が付近に砕けていた。想像以上の酷さだった。
全てが泥に埋もれ、船の燃料なのか油臭い。
26 現場に到着。瓦礫の中に火が赤々と燃えていた。
地獄だ。
事前に水利を確認したが使えるものはなく、先にいた団員に川から水をとるように聞く。
27 筒先を任され3時間くらい放水しただろうか、
次のグループと交代の連絡。交代するときに
消防署からは「ご苦労さん」と冷えた缶コーヒーをもらう。
実は津波後初めて口にした食べ物(飲み物)だった。
第三弾~津波到達と直後~
58 :1:2012/02/04(土) 15:59:53.93 ID:lr/O0xKk0
続きです。
28 自衛隊到着。捜索活動をともに行うことになる。
話をしてみると北海道で勤務している人らしく、もっぱら訓練で、
時より山での遭難救助をしているらしく、災害派遣は初めてで被害の大きさに驚いていた。
29 国道の瓦礫撤去を命じられる。道の確保を最優先で。
ヘリや緊急車輌が行き交うようになる。
30 3月12日の夕方。初めて食事の救援物資が届く。
避難所には食パンが1人2枚とカップの味噌汁。
消防団にはバナナ1本とカップの味噌汁が支給。味噌汁の旨さに脱帽。
31 12日の夜、初めて家に帰る。汚い服を着替えて再出動。
滞在時間は1時間ほど。震災直後に弟と会って家族や家の無事は知っていたので、
感動の再会とはいかず。
32 13日その後、2週間程度は捜索活動。4月になり消防団としての活動は一旦終わり。
33 3ヶ月くらいは瓦礫撤去
59 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 16:10:44.05 ID:gpDUnayQO
本当にお疲れ様でした。今は漁師の方は完全に復活されたんですか?
消防団が壊滅した所もあったと聞いたのですが、実際はどうだったのでしょうか?
>>59
漁業は全然復活しておりません。
断言します。
理由は
・漁船が無い:
8割以上の漁船が被災を失いました。私も船がありません。
私の所属する漁組では、200隻強の隻数が被害を受け、
新たに申し込んでいるのが180隻。1月末までに届いているのが20隻弱。全く足りません。
・漁港が使えない:
地盤沈下と防波施設(テトラポッド等)の破壊により、
少しの時化で漁港に浸水します。新たに施設を作るにも作業が捗りません。
・漁業資材がない
:広い範囲での被害だったために、ロープなどの漁業資材が不足しています。
ワカメやホタテなどの養殖はその時期を逃せば1年後になるので、
やりたくても出来なかったりします。
消防団にはついては、
犠牲になった方も多くいたと聞いています。私も一歩間違えれば・・・です。
消防団自体の壊滅は聞いたことがありませんが、
「危険すぎてボランティアのレベルを越えている。消防団はプロではない。
在り方を考え直してほしい。」と嘆願したところがあるとは聞いています。
60 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 16:29:23.89 ID:Ub5F6Ujy0
もちろん小さい子もたくさん犠牲になったんだろうけど
避難所に届いた障子が食パン2枚か…
生きてるだけでありがたいんだろうけど、離乳食の子とかどうしてたんだろうなぁ
>>60
自分の所は1週間もすれば食料は十分確保できました。離乳食やお菓子も届きました。
離乳食の子はいませんでしたが、小さい子も異様な雰囲気を
感じ取ってか駄々をコネたりする子はいませんでした。
むしろ色々な年代と分け隔てなく交流できるので、
食料の配膳や御用聞きなどで大活躍してくれました。
63 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 17:45:42.53 ID:Ub5F6Ujy0
お年寄りも大変だったと思うけど、小さい子が一番可哀想だと思ったんだ
>>1のところじゃないかもしれないけど、どっかで親子でジャンパー取りに
行ったら津波で流されて死んだ話もどっかで見た
当時は寒かっただろうね。窒息死が多いらしいけど、かなりの人数が凍死したという話も聞く
>>63
雪降っていたからね、2日くらいはきちんとした捜索もできなかったからな・・・
救えた命もあったのかもしれない。
65 :名も無き被検体774号+:2012/02/04(土) 19:46:17.96 ID:gpDUnayQO
やはり完全復活までは時間がかかるんですね。
消防団自体というより小規模な分団のことだったのかも分かりませんね。
魚は東北産の物を食べ続けます。
私事で申し訳ないですが、自分は予備自衛官なのですが、
あの日派遣待機が出されて以降結局派遣されず、力になれず申し訳ありません。
66 : 名も無き被検体774号+:: 2012/02/04(土) 22:11:28.18 ID:U24515tp0
俺も被災地の消防団員
宮城だがお互い大変だったな